日本人研究者が英語論文で最も悩む「冠詞」——NAIコラムに学ぶ a / an / the の本質
英語論文の校閲をしていると、日本人研究者の原稿で非常に高い頻度で見られるのが 冠詞(a, an, the)の使い方 です。2016年10月に掲載されたNAIのコラム(https://www.nai.co.jp/recommend/column2016.html)でも、このテーマが正面から取り上げられていました。
“The topic of this month’s column is typical errors in texts written by Japanese authors.”
コラムでは、単に「よくあるミス」を列挙するのではなく、特に頻度の高い誤りとして冠詞の用法を丁寧に解説しています。今回はこの内容を軸に、実際の校閲現場で見えてきた傾向と、投稿前に使えるチェックポイントまでを整理してみたいと思います。
冠詞は「形容詞」の一種である
まず興味深いのは、コラムが冠詞を 形容詞の一種 として説明している点です。
“It may help to know that articles are actually a type of adjective.”
学校英語では冠詞を独立した品詞のように扱うことが多いため、「形容詞の一種」と聞くと少し意外に感じるかもしれません。しかし、冠詞は determiners(限定詞) というグループに属し、my, your, their, this, that などと同じ仲間だと述べられています。
つまり冠詞は、名詞が 「どの程度特定されているか」「話し手と聞き手の間でどれくらい共有されている情報か」 を示す役割を担っているのです。この視点を持つだけで、「なぜここに the が必要なのか」という判断がぐっとしやすくなります。
a と the の違い——コロニーの例で理解する
コラムでは、実験室で誰もが経験する場面を使った、非常にわかりやすい例が紹介されています。
a(不特定)の場合
“I picked a colony from the plate.”
これは「プレート上にある多数のコロニーのうち、どれでもよい1つを選んだ」という意味になります。読者にとってそのコロニーが特定される必要はなく、単に「1つ取った」という事実が伝わればよい場面です。
the(特定)の場合
“I picked the biggest colony from the plate.”
一方こちらは「最も大きいコロニー」という、他とは区別された特定の1つを選んだことを示しています。the biggest という最上級によって対象が一意に定まるため、the が必要になるわけです。
つまり the は名詞を特定し、際立たせる働き を持っています。逆に言えば、名詞が特定されていない場面で the を使ってしまうと、読者は「どのコロニーのこと?」と一瞬混乱してしまうことになります。
日本人研究者に多い「the の付けすぎ」問題
コラムで特に強調されているのが、the の 過剰使用(overuse) です。
“A further error often arises in the use (or rather overuse) of ‘the’.”
たとえば BRCA1 遺伝子について書く場合、次の2つはどちらも正しい表現です。
- the BRCA1 gene —— 正しい
- BRCA1 —— 正しい
しかし、日本人著者の原稿では the BRCA1 と書かれてしまうケースが少なくありません。gene という一般名詞が付いている場合には the が必要ですが、遺伝子記号そのもの(BRCA1)は固有名詞として扱われるため、冠詞は不要なのです。
コラムはこの点を次のようにたとえています。
“This is analogous to placing ‘the’ in front of a person’s name or city.”
つまり、「the Tokyo」や「Dear the Dr. L.E.」と言わないのと同じこと。私たちは人名や都市名の前に the を付けませんが、それと同じ感覚で遺伝子名を扱えばよいというわけです。同様の誤りは、薬剤名、細胞株名、タンパク質の略号などでも頻発します。
なぜ日本人にとって冠詞は難しいのか
そもそも、なぜ日本人研究者は冠詞で苦労するのでしょうか。理由は言語構造そのものにあります。
日本語には英語の冠詞に完全に対応する概念がありません。「遺伝子」「細胞」「患者」「サンプル」などの名詞を日本語で書くとき、それが特定されたものなのか、不特定の1つなのか、あるいは総称なのかを 明示しなくても文が成立します。文脈で判断されるからです。
しかし英語では、名詞が登場するたびに書き手が 「この名詞をどう捉えているか」 を冠詞によって示す必要があります。特定なら the、不特定なら a/an、総称なら無冠詞複数形、というように、選択肢そのものが常に存在するのです。
そのため、英語論文の執筆では 「名詞を書くたびに冠詞を考える」くらいの意識 がちょうどよいと言えます。慣れないうちは面倒に感じますが、これは英語という言語が要求する情報粒度そのものなので、避けて通ることはできません。
投稿前に確認したい3つのチェックポイント
実際の校閲現場から見えてきた、投稿前に必ず確認したい3つのポイントを紹介します。
1. その名詞は「特定」されているか?
読者にとって、その名詞がどれを指しているかが明確に絞り込めるかを考えます。前の文で言及済み、修飾語で一意に定まる、文脈上ひとつしかない——このような場合は the。逆にそうでなければ a/an、または無冠詞複数形が候補になります。
2. 固有名詞ではないか?
遺伝子名、薬剤名、細胞株名、酵素名、人名、地名などに 不要な the を付けていないか を確認します。「the BRCA1」「the p53」「the HeLa」のような表現は要注意です。ただし「the BRCA1 gene」「the p53 protein」のように一般名詞が続く場合は the が必要になるので、セットで判断する癖をつけましょう。
3. 同じ名詞を繰り返すときに冠詞が変化しているか?
初出では a/an、2回目以降は the になるのが典型的なパターンです。「We used a mouse model. The model was …」のように、初出と再出で冠詞が切り替わっているかをチェックすると、文章の流れが自然になります。
まとめ——冠詞は「名詞の重要性を示す道具」
2016年10月のNAIコラムは、冠詞を単なる文法項目ではなく、「名詞の重要性や特定性を読者に示すための道具」 として捉えることを勧めています。この視点の転換こそが、冠詞習得の近道と言えるでしょう。
そして、日本人研究者に多いのは、the を付けるべき場面で忘れることよりも、付けなくてよい場面で付けてしまうこと です。特に遺伝子名・薬剤名・略号など、固有名詞的に扱われるべき語への the の付けすぎには注意が必要です。
英語論文では、冠詞ひとつで文章の自然さと専門性が大きく変わります。投稿前に「この名詞は本当に特定されているか?」「これは固有名詞ではないか?」と一度立ち止まって考えるだけでも、原稿の完成度は確実に向上します。冠詞は面倒な文法ルールではなく、読者に情報を正確に届けるための重要なシグナルなのです。
参考: NAI 2016年10月コラム
▼エヌ・エイ・アイ株式会社の科学論文サポートサービス
https://www.nai.co.jp/
